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サバニは漕がない?

昨年の奥武島レースの前日練習の際に、乞うて練習を見に来て頂いた齢90才を超える地元奥武島の元海人のオジイ(中本市三郎氏:氏名が間違っているとご指摘を頂きました。謹んで訂正し、お詫びを申し上げます。)から、第一声で「サバニは漕がない」と注意された事を思い出す。舵を取っていた私を含めて、その時に乗艇していた乗員の多くが「えっ!?」と感じた筈だが、これは現在の帆掛けサバニレースの全てが「帆漕」レースなっているが故の、我々の帆掛けサバニに対する一種の誤解にも起因する事なのだろう。

少し整理しておくと、現在のレースに参加している帆掛けサバニの多くが、戦後のエンジンを搭載する様になった時代又はそれ以降に作られた舟である。つまりそれらは、激しい振動を伴う重く大きなエンジンが搭載される事を前提にしたサバニであるため、必然的にスクジーは厚く、従って舟も重い。その頃に南洋ハギのサバニの建造が下火になり、より頑丈な糸満の本ハギサバニが俄に復興した理由もここにある。
私が修復に携わっている船齢60年以上のサバニの何れもが、その船底の厚みは僅か3〜4cmである。これらのサバニには、エンジンが搭載されていなかったか、或はごく小さな2馬力程のガソリンエンジンが使われていた程度だろう。

つまり、現在のレース用サバニの中には、帆走のための艤装を自らの誕生から半世紀もの時間を経て初めて施されるものもあり、ましてや補助の意味合いを超えて今日の様に「大勢の漕ぎ手によって漕がれた」経験も持っていない筈なのである。
ちなみに、ウシカキーやハイウシミーが当初から備わっていたからと言って、それがかつては帆走を前提としたサバニだったと断言するのは早計な場合が多い。エンジントラブル等の場合の補助的な役割を担うべく、エンジンの普及後にも帆走のための艤装は引き続き備え付けられていたからである。


セーリングボートとしてのサバニ

これらの意味から、現存する約40の帆掛けサバニチームが保有している今日のサバニの中に、本当の意味でのセーリングボートであるサバアッキサーブニやイノーアッキサーブニと呼べる舟は数える程であり、それら「本来の」帆掛けサバニの艤装や暗中模索段階の操船方法を、ハーリー競技のノウハウと混合して昇華させる事によって、かつてはエンジンを搭載していたサバニに当てはめているのが現状だと言うのが正しい理解だろう。こう考えてみると「帆掛けサバニの操船を教えて欲しい」との私の願いに応えて浜に下りて来て下さった市三郎オジイが、「漕がない」と教えてくれた理由は明白になる。

現存するサバニ大工も残り少なく、且つ一種の「拘り」と呼んでも差し支えないであろう古い舟に対するレスペクトの念から、昔のサバニを修復して参戦している多くのチーム事情を考えれば、レースという形を通じて、サバニの帆掛け艤装での「新しい」乗り方・楽しみ方を提案している今日のサバニレースを、何ら否定したり疑問視する理由も存在しないが、と同時に、もしもそうした活動が帆掛けサバニの全てなのだと言う考え方が罷り通り、一旦は失われてしまった大切な本来の操船方法の理解やその習得にとっての障壁となる様な事があるとすれば、極めて大きなインパクトを伴う問題になり得るのではないかとも考えるのである。

仮にこれらの考え方が全てが正しいと言う前提に立ったとしたら、漕ぎと帆走をミックスした現在のレースとは一線を画した、漕ぎはあくまでも補助程度に限定する事によって、帆走に更にウェイトを置いた帆掛けサバニの競漕もきっと面白く価値がある事ではないだろうか。しかもその事によって得られる可能性があるものが、我々が探し求めている本来の帆掛けサバニの乗り方そのものである事は疑う余地がないだろう。


新しいレースの形

もしもそのようなコンセプトに基づいたレースが実現するとしても、「漁」ではない「競漕」であるレースにおいては、中本市三郎氏の貴重な教えにも多少は抗わざるを得ないのかもしれない。サバニでは漕ぐ事即ち舵を切る事でもある場合があるため、漕ぎを禁止する事はあらゆる角度から考えてもナンセンスである事を踏まえて、漕ぎの要員(要因)を最大限に減少させた、例えばヒーヌイとトゥムヌイの2人だけに乗員数を限定したレースを実現する事が出来るならば、帆掛けサバニの技術の模索のために素晴らしい事なのではないだろうかと、思う次第なのである。

さて、その場合の帆掛けサバニとは、一体どのような形・艤装になるのだろうか?

我がチームをはじめとして殆どのサバニがそうである様に、漕ぎ手の負担を少しでも減らすためハーリー舟の様に背もたれや足の踏ん張りが設置されているが、本来の少人数での操船を前提とした帆掛けサバニには、サバニ独特の船体のくびれを保持するための、トゥムヌイの直前のハイグァしかなかったのではないだろうか?
従って、ヒーヌイは、少し後ろに移動したり、また前に戻ったりと言った乗船位置の調整が可能だったのかもしれない。

そして、2〜3人で操船をすると言う事を基本に考えた場合、サバニの船幅は約1m、即ちその船長は6.5m前後になるのではないだろうか?しかしながら、残念な事に、大城清さんと海想さん所有の何艇かのサバニを除けば、私が知る限り県内に帆走可能な状態で存在しているそのサイズの帆掛けサバニは、石垣島の2艇、平安座島の1艇を含めて合計4〜5艇しかない。我がチームの古い古い新艇、南風(=はいかじ、幅0.98m、長さ6.68m)も恐らくこのカテゴリーに入れる事は出来ると思うものの、残念ながらまだまだ2人での操作のためには、相当の熟練を要するに違いないと感じている。

昨年の事。とある自治体の方と酒の席で話をしている時に思いついたのは、自治体が同じ大きさのサバニを複数艇保有し、レースを誘致してはどうか、というアイデアだった。つまり、ハーリー形式で、予め準備された帆掛けサバニを使った勝ち抜きレースを行うのである。参加者は、自艇を陸路搬送する手間や苦労を省略して、Myウェークのみを持参する事でレースに参加する事が出来る。これは、第一回帆掛けサバニレースinやんばるの際に行われたワンメイクレースの発展形でもある。
仮に新艇の建造費を一艇あたり150万円だと仮定したとしても、5艇で750万円。これに簡単な艇庫を加えたとしても、自治体の予算としては決して巨額なものではないだろう。一括交付金の使い道という考え方も出来る筈だ。現在、サバニチームは40程しかないが、この方式の場合は、チーム内チーム(或はコンビやトリオ)を結成可能だから、実際のチーム数以上の参加者を見込めるかもしれない。関係者や観客を含めると、数百人から一千人規模のイベントに育て上げられる可能性もあるだろう。しかも建造されたサバニは、メンテナンスを怠らない限り、何十年も継続して使える価値ある自治体の文化資産となり得るのである。レースのみならず、学校教育に活用すると言う新たな使い道もどんどん出てくるかもしれない。
如何だろうか?



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コメント(2)

はじめまして。サバニに興味を持って拝読しています。
独自に調査・考察を続けられていてすばらしいですね。
見たわけではないですが、日常の漁では2・3人ともすれば1人での出船であり、スポーツではないので凪や順風であれば極力漕ぐことには体力を使わず、エークを差すのはラダー目的のストロークに絞って体力を温存しているのではないかと私も想像していました。
でも現在の帆掛けサバニが多人数でしかも漕ぐウエイトが高いのは競漕として復興しているのだから、それはそれでアリですね。私は、漁船という本来のサバニの使い方の再現とはまた異なりますが、サバニ釣り大会が行われるようにならないかと夢想しています。

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もしもこのブログを介して、既存のレースチームはもちろんの事、帆掛けサバニに興味を持つ人達の間でも情報交換やディスカッションが出来たとしたら、これに勝る喜びはありません。

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このページは、津輕良介が2012年9月18日 12:36に書いたブログ記事です。

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