文化 | CULTUREの最近のブログ記事

忌まわしい生憎の台風によって、実は昨年末より少しずつ企画を進めて来た、初の東海岸でのレースの開催は見送る事になってしまい、糸満でのマリンカップレースも中止になった事も関係して、不完全燃焼のまま今年のサバニシーズンが終わってしまいました。

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サバニは漕がない?

昨年の奥武島レースの前日練習の際に、乞うて練習を見に来て頂いた齢90才を超える地元奥武島の元海人のオジイ(中本市三郎氏:氏名が間違っているとご指摘を頂きました。謹んで訂正し、お詫びを申し上げます。)から、第一声で「サバニは漕がない」と注意された事を思い出す。舵を取っていた私を含めて、その時に乗艇していた乗員の多くが「えっ!?」と感じた筈だが、これは現在の帆掛けサバニレースの全てが「帆漕」レースなっているが故の、我々の帆掛けサバニに対する一種の誤解にも起因する事なのだろう。

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帆掛けサバニの大先輩のチームから、譲り受けたサバニ。チーム内での協議の結果、綾風の命名の際に候補として挙っていた「南風」という名前に決定した。「南風」と書いて読みは(はいかじ)。
沖縄本島の方言では南風は(はえ)となるが、八重山では(ぱいかじ)になると言う。また本島では(ぱい)や(はい)は「走る」という意味もあるそうで、二つの意味を兼ねそなえつつ(はいかじ)とする副キャプテンの案が採用される事になった。

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琉球大学の風樹館にサバニが展示されていると言う事は知っていたが、これ程までに保存状態の良いものだとは想像していなかった。船体の傷みや劣化も少なく、間違いなくこのまま直ぐにでも海に出せるレベルである。
舟はサバアッキサーニ。両舷に浮力体は付けられているものの、エンジンを搭載した形跡はない。舟の中に無造作に置かれていたウェークも間違いなくイークで作られた本物だ。

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出勤日だった日曜日。

初めて会う多くの人たちと、セミナーを中断して黙祷を捧げる。改めて、1年前のあの出来事の重大さと、そして今なお人々の心に残る傷の深さを感じた。

さて、そんな私は、朝からセミナーが行われた沖縄市産業交流センターのロビーに置かれた舟に心を奪われていた。

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初めてアイノコについて書いてみたところ、思わぬところから思わぬ反応があった。また、私が掲載した写真の舟はアイノコではないのではないかというコメントも頂いた。というわけで、もう少し舟の特徴を掴みやすい写真を掲載してみたい。

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とある友人から、那覇市内で私が現在滞在している場所から目と鼻の先のホームセンターの駐車場に、くたびれた古いサバニが置いてあるとの情報を貰い、仕事帰りに立ち寄ってみる事にした。普段から漁港に行く度に、まずはサバニを探してみるという事に慣れてしまっている私は、直ぐに目的の舟を見つける事が出来たのだが、遠目から見るとどうも違和感がある。サバニにしては形がズングリし過ぎているのである。


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今週末には今年最後の帆掛けサバニレースが、豊崎の美らSUNビーチで開催される。

先月末の南城市奥武島でのエキサイティングなレースが終わった後、地元の方のご厚意に甘えて1ヶ月にわたって糸満にサバニを置かせて頂き、そのおかげで「うみまる」「源丸」「エミ丸」「新風」「ずけらん丸」の皆さんと、極めて密度の濃い合同練習を行う事が叶った。レース終了後に綾風は、一ヶ月ぶりにホームポートである宜野座に戻る事になるが、何よりも心残りなのが、この合同練習月間が終わってしまうという事に他ならない。

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歳を重ねる毎に自ずと理解に至る事がある。
例えば、エイサー。エイサーとは何か、何のためにあって、何故あのような形なのか。本土の盆踊りや精霊流し、また大文字の送り火等とはどう違うのか...。
数々の縁を頂いている沖縄であっても、その行事や風習を身をもって体験し、そしてその意味を知るという事に関して言えば、如何なる印刷物であってもそこに記された活字を追うだけでは「識る」事しか出来ないという事のかも知れない。自然とそれらを解し違和感や意識なく受け止められるまでには、異文化圏の人間にとっては相応の時間が必要なのだろう。

このエントリーに付けるべきカテゴリーに悩んでしまいましたが、既報の通り、来月から琉球新報の南風(はえ)というコラムに半年間、寄稿させて頂くミッションを拝命する事となりました。

帆掛けサバニや海人文化の事はもちろんですが、私の様に沖縄と縁を頂いて内地に住む立場から見た沖縄に対して思う事を書いて行きたいと思います。宜しくご高覧を頂きます様お願いしつつ、取り急ぎのご報告とさせて頂きます。

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名護での仕事が予定より早く終った事を幸いと、以前から気になっていた名護民族資料館に行ってみた。この資料館の事は少し前にインターネットでたまたま見つけて知ってはいたが、遠方故になかなか行く機会に恵まれないでいた。


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決して100%の満足とまではいかないにせよ、一応の完成にまで漕ぎつく事が出来た。


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自らのブログを読み返してみた所、2007年のレースを控えたゴールデンウィークには既に考え始めていた様なので、かれこれ足掛け3年になるサバニの模型制作が少しずつ進んでいる。ログを見る限りにおいて、拙ブログを訪問してくれた読者の中に、少なからずサバニの模型を検索条件として見つけてくれた方が居るため、ここで紹介してみたいと思う。

模型の材料として選択したのは、側板には杉の集積材。これは、近所の100円ショップの工作コーナーに置いてある、もちろん100円の材料である。厚さ6mmこの1枚の杉板からは2~3艇分のパーツを切り出す事が出来る。


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「ミーカガンが出来たよ、お風呂で試すから一緒に入ろう」


と、久しぶりに下の娘との入浴。私の手には、今年になって知り合った方に譲って頂き、自分の眼に合わせて少し細工したミーカガンが握られている。

モンパノキで出来たミーカガンは私の様な素人にとっても加工や刃物での微調整が容易で、連休の谷間の休日と言う事も相まって我を忘れて熱中した。


レースと言う形でサバニに触れる様になって今年で、5年目。それまでは全く興味がなく憶える事さえ苦痛だった木材の名前に否応無しに触れる機会に頻繁に遭遇する。


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現代、そしてこれからのサバニ

サバニ帆漕レースは、私を含め多くの海好きにサバニによる帆漕の醍醐味を教えてくれた素晴しいイベントである。

ただ、このレースの参加者の中にもしも、アウトリガーを持たず且つ舵エークのみで操船する古式のサバニが絶対であるとし、それ以外のサバニを否定的な観点で捕らえる人がいるとすれば、それは少し早計かもしれない。


確かに、アウトリガーを装備する事によって得られた安定性を活用して、より大きなセールを艤装する事は可能である。大きなセールを使う事によって、例えば同じ風速であれば間違いなく船足を向上させる事が出来るからレースをより有利に展開出来る。また、舟の安定性故に、パドリングに精通しているものの必ずしも帆走には熟練していない様なクルーによるチーム作りも可能かもしれない。

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アウトリガーの有無


太平洋の南の島々のみならず、帆走する小型船舶の多くはほぼ例外なくアウトリガーを持つか、カタマラン、或いはトリマランである。南西諸島においても、二艇のサバニを双胴船(カタマラン)のように接合して荷を運んだと言う記録があるため、モノハル(単船)の弱点である安定性を外部の浮力体や構造物で補完するという発想がそもそもなかったと言うことは考えにくい。しかも、実際に私も一昨年のサバニ帆漕レースで経験した様に、アウトリガーを装着することや外すことは実にたやすい作業であるにも拘らず、一般的にサバニはモノハルなのである。


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サバニの帆走性能


サバニの帆の形状は、船の使い方などを考慮しながら個々の漁師による独自の改良が加えられていたであろう事は想像に難くない。従って、学術的な文献や記録等が残されている訳ではないから、帆を新たに製作する場合も昔同様に船体に合わせながら、そしてやはり試行錯誤を繰り返していくより他に道は無い。ただ、私のような週末セーラーの乏しい知識や経験を通して見ただけでも、今日のセーリングボートの帆と比べても、サバニの帆走機構の根本的な構成や造作が極めて高度な物である事は間違いないと断言できる。


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自由な進化を享受していた琉球列島のサバニ


以前もこのブログで触れた司馬遼太郎の「菜の花の沖」は、高田屋嘉平という主人公の生涯を通して当時の日本の社会や、農本主義からの脱却までを克明に描いた紛れも無い歴史小説であるが、私にとっては物語に登場する数々の船や、それらによる航海のシーンが強く印象に残る海洋冒険小説でもある。その意味でも、小説の重要な脇役として登場するいわゆる千石船は当時、マストや帆の数をはじめとしてデッキの有無等に関する幕府の厳しい規制下にあったために、帆走性能の追求や貨物輸送の安全性・効率の向上の為に工夫をする範囲が極めて限定されていた。嘉平が外国から訪れた帆船の構造に目を見張るシーンが印象的である。


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一週間後に進水式を控えていると言う事なので、ここでの写真の紹介は控えたいが、船大工さんにとっても実に40年ぶりの製作となる南洋ハギという手法で作られた、今まさに産まれんとするサバニに出会ったその瞬間、薄明かりの工房の屋根の下で思わず息を呑んだ。

サバニに詳しい方にとって私の知識など実に浅く限られたものでしかないため、ここで南洋ハギのことを紹介するのも憚れるのだが、刳り舟の性格も併せ持つ本ハギと言われる製法と異なり、南洋ハギでは同じ厚さの板を接ぎ、且つフンドゥーを使わない製法を指すという。この事から、本ハギをフンドゥーハギとも言う。糸満の漁師が南洋諸島で限られた材料に対応して考案したもの。




復興の大漁旗

手染めにこだわり続けて150年。大漁旗・命名旗のご用命は宮城県気仙沼市・菊田染工場まで。

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<p style="font-weight:bold;font-size:14px;margin-top:7px;">復興の大漁旗</p><a href="http://www.tairyobata.jp/"><img src="http://www.tairyobata.jp/resources/public/flag_nevergiveup_j_s.jpg" style="border:1pxsolid#ccc;"></a><p style="font-weight:normal;font-size:11px;margin-bottom:8px;">手染めにこだわり続けて150年。大漁旗・命名旗のご用命は宮城県気仙沼市・菊田染工場まで。</p>

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このブログについて

このブログは、沖縄の伝統帆漕漁船「帆掛けサバニ」の機能美や性能に魅せられた私たちの日常の取り組みを、記録として残している物です。
知識も経験も十分でない駆け出しの私たちが情報発信をする等という事は恐れ多くて出来ませんが、木造舟で独特なセーリングプランを持つ帆掛けサバニの保守や、操船等に関する疑問、解決手段等の私たちなりの見解も、この場で発表出来ればと思っています。
もしもこのブログを介して、既存のレースチームはもちろんの事、帆掛けサバニに興味を持つ人達の間でも情報交換やディスカッションが出来たとしたら、これに勝る喜びはありません。

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